今治タオルとは?

多くの人が一度は聞いたことがる「今治タオル」。愛媛県の今治市で生産され、厳しい基準をクリアしたタオルのみ「今治タオル」を名乗ることができるそうです。てっきりどこかのメーカーのブランドの一つが「今治タオル」なのかと思っていたんですが、複数の会社が各自製作し組合の厳しい審査基準をクリアすると「今治タオル」になれるそうです。

ちなみ読み方は「いまばりたおる」。わたしの同世代(20代)と話すと「いまじたおる」だと思ってた!って人が多かったので一応ね。

他のタオルと何が違うの?

日本のタオルの名産地は今治以外にも大阪の泉州が有名ですが、今治タオルは何が違うのか。それは、、、

吸水力

だそうです。もともと今治には高度成分が少ない軟水があり、染めの技術がハイレベルに進歩したことで国内最大のタオル産地になりました。そして織りの技術なども栄えたことで「吸収力」が優れたタオルを作る技術も向上していきました。

どうして衰退したの?

「吸水力」や「染色」など高度な技術を持っていたにもかかわらずどうして衰退してしまったのか。時系列で調べてました。

成長期

今治タオルの歴史は古く、1894年に実業家の阿部平助氏が改造織り機4台を用いてタオルの製造を始めたのが最初とされる。元々、今治は江戸時代から綿織物業が盛んだったことや、瀬戸内海の交通の要所としてヒト・モノ・カネが行き来するような場所だったことから、すぐにタオルは造船とともに今治の主要産業に成長した。

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1705/15/news040.html

タオルはもともと輸入高級品でした。ただ阿部平助氏の事業を皮切りに、技術の向上により生産力と品質が大きく向上し製造機数と生産量は順調に右肩上がり。ただ1945年の米軍の今治大空襲で壊滅的な被害を受けましたが、それでも今治タオル業界は成長を続けました。

この時は、タオルが一般家庭に普及するフェーズなので価格と質が需要に合うようになりさえすれば売れる時期だったのでしょう。

最盛期

そして1960年に大阪の生産量を超え日本一に。その後も成長し1991年にピークを迎えました。

営業をかけずとも卸問屋がどんどん仕事をもってきて、企画や販促を考えずとも売れてしまう。そんなフェーズを経て衰退期に入ります。

衰退期

そして、ピークの後は衰退がきます。1991年のバブル崩壊後、タオルの需要は下がり、さらに安価な輸入品が大量に出回るようになりました。

生産量もピーク時の半分まで落ち込み、危機感を感じた国内タオルメーカーは2001年に経済産業省に中国製タオル製品に繊維セーフガード発動の要請をしました。ただ中国からの輸入量も減っていることもあり、「早期発動の根拠不足」ということで認可がおりず、引き続き調査をしていましたが2003年にその調査も打ち切られてしまいました。

2億円もの補助金で銀座にショップをオープンをしたこともあったようですが、「作る力」に長けていても「企画力」や「売る力」などは最盛期に失っているのでうまくいかなかったようです。助成金を使い切ると同時にショップは撤退しました。

どうやって復活したの?

きっかけは「JAPANブランド育成支援事業」

セーフガードも、助成金を使ってのショップも失敗。もう打つ手なし・・・のタオル業界に急遽あらわれた救世主。 2006年に中小企業庁の「JAPANブランド育成支援事業」に今治タオルが選ばれました。

地域の地場産業、伝統産業を復興して、明日の地域産業として花開かせるためには、 単年度ではなく複数年度にまたがる継続的な取り組みが必要です。
JAPAN ブランド育成支援事業は、ブランド確立支援まで最長3年間にわたり支援します。その前に、関係者の戦略づくりが必要な場合は、戦略策定支援として1年間支援を受けることも可能です。

https://www.chusho.meti.go.jp/shogyo/chiiki/japan_brand/download/Jbrand_Guide.pdf

選ばれたのをキッカケに、クリエイティブディレクターの佐藤可士和さんを直談判で口説きにいったそうです。佐藤さんは今治タオルのクオリティの高さに感動し引き受けることを決定。

戦略は「安心・安全・高品質」を伝えること

もともと今治タオルは加工技術が高くジャガード織りなどの模様の美しさなどを推していました。ただ、一般ユーザーには「ジャガード織りって・・・?」となってしまい、ジャガード織りだからタオルを選ぶ基準にはならなかったのです。

そこで佐藤さんは今治タオルを使って感じた「安心・安全のメイドインジャパン」「吸水性の高い高品質」を訴求軸に変更。

今治タオル =安心・安全・高品質

で全国に認知を取っていこうという戦略に振り切ることになりました。

どんな施策を打ったの?

高品質を伝える「白タオル」

例えば、お米の品質や味を伝えたいなら、白いごはんのままで提供したほうがいい。最初からカレーをかけたり、ピラフにしたりはしないですよね。それと一緒で、タオルという素材そのものの話をしたかった。 だから真っ白いタオルを今治タオルのアイコンにしようと考えたんです。ジャカード織りがすごいとか、今治タオルのことあまり知らなかったから良かったんだと思います。

https://www.imabaritowel.jp/imabari_life/interview/imabari_life/interview474

高品質を伝えるため、また安心安全をイメージしやすい白。白い今治タオルにこだわってブランディングを行なったそうです。

メーカーが束になるための「ブランドロゴ」

「今治タオル」としてまとめて売っている場所は、その時点では、地元・今治の組合ショップ以外にはなかったんです。流通形態も各メーカーがそれぞれ問屋に卸すというものなので、日本中にバラバラに散らばって展開されていたわけです。

https://www.imabaritowel.jp/imabari_life/interview/imabari_life/interview474

一般ユーザーから見たらどのタオルが「今治タオル」か分からない状態。各メーカーがバラバラの品質基準でタオルを生産し、バラバラの名称でプロモーションを行なっている状態だったのでしょう。

「今治タオル」のブランドロゴを作成し、このロゴを使える基準を組合が作成することで、品質もプロモーションも一本化できたのです。

ちなみに基準もとてもわかりやすく、「タオルが水に浮かべて5秒以内に沈むかどうか」。品質基準が一般ユーザーでも優れた吸水性なんだと分かるいい基準ですね。

タオルの良さを一気に拡散する「タッチポイント」

ブランディングも顕在層向けにプロモーションもできたけど、問題は拡散。拡散しないと潜在層にはリーチできないですよね。そこで佐藤さんがこだわったのは「タッチポイント」の創出。

いくら今治タオルのブランドを確立してコミュニケーションしても、商品がウェブサイトと今治にしかない状態では拡散しないじゃないですか。だから2年目に僕がこだわったのが、タッチポイントを作るということだったんです。
今治タオルをまとめて見て、実際に触れて、買える場所。ぜひとも東京にお店が必要だと強く主張しましたが、そこには思いがけない壁があった。

https://www.imabaritowel.jp/imabari_life/interview/imabari_life/interview474

タオルという商品の特性上、やはり実際に触れる・見れる場所が必要だったようです。伊勢丹三越で無事出店しとても大きな売り上げに繋がりました。無事潜在層にもリーチできて、ひとまず今治タオルのマーケティング・ブランディングは成功した瞬間ですね。

さいごに

今治タオルのように高品質コンテンツがブランディングの力によってきちんと世に広まり、技術も引き継がれたことは素晴らしく感じました。

参考文献

ITmedia-衰退一途の今治タオルが息を吹き返した“大事件”https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1705/15/news040_2.html

今治タオル公式-サイト

今治の観光と地域情報サイト-タオルの聖地ー120年以上続くこだわりの吸水性と高品質のタオル産地今治

TEXPORT 今治-今治タオルの歴史http://www.imabari-texport.com/learning/history.html

Loisir-space’s blog-佐藤可志和・四国タオル工業組合「今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略」

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